日本がポツダム宣言を受諾して、条件付き降伏をしたその後、占領軍が入ってきて、これまた生き延びた婦女子は強姦された。そして、住まいがなくなった民間人は、山々は焼かれてしまっているので、建築資材にもことかく状態であった。それはバラック小屋さえも建てられないほどたった。
そこへ、GHQの占領政策として、セメントと砂を供給し、日本政府に買わせ、木の家ではなく、セメントの家を建てさせた。つまり米軍がセメントを買わせるという、経済政策の結果、RC住宅になっていったのである。
サンフランシスコ講和条約が締結されても、沖縄と小笠原は日本に返還されず、1972年5月15日まで米国領であり、その間、米国領の沖縄は、米国の統治下にあった。かくて、その政策は変えられることもなく、台風銀座という立地条件もあり、頑強なRC住宅がいいということになり、その考えが子孫に受け継がれ、今のように変貌した景観になってしまった沖縄がある。
このように、「戦後の沖縄の家の変貌」も、「自虐史観の定着」も、「牛乳神話」も、実は同一線上にある問題なのである。それを知っておいてもらいたい。ただし、牛乳を加工した脱脂粉乳という誠にまずくて飲めたものではない食品の供給が、栄養失調の日本人を救ったという面もあったことは付け加えておく。
しかし、牛乳神話により、牛乳を飲む習慣が定着した日本人は、今、その大きなツケを慢性的健康被害として支払わされている。脱牛乳、反牛乳、こそが日本人の健康生活に欠かせないキーワードであると思う。
世のお母さんの牛乳への認識を変えない限り、脱牛乳はままならない。牛乳は健康栄養食品であり、お腹に胎児を宿している妊婦にとっても、赤ちゃんにおっぱいを飲ませている最中の母親にとっても、育ち盛りの子供を抱えている母親にとっても、牛乳は欠かすことの出来ない食品になっている。