本気男塾資料 2025年5月28日
桜大志の効果絶大!!健康塾「この機会に平穏死を考えてみては」
二つの「死」の知識
タイトルを確認すると、「トランプ関税」によって世界は大混乱に陥っている今、「そんな辛気臭い話などエエわ」と言うなかれ。どんな時でもいつでもあの世に行く覚悟と準備は必要であり、そのための絶対的知識を生きているうちに得ていないと取り返しのつかない苦しみが待ち受けている。今回はそんな話である。森田社長という、かけがえのない友人の死に遭遇してどうしてもあらためて伝えておかなければならないと思い、こうして筆を執っている。
株の乱高下は一過性のことであり一喜一憂していてはならない。もっと関心をもたねばならないことは沢山ある。最も重要で身近な「死」について考えないことは生命体として不覚である。なにせ「死」は自宅の玄関を出た向こうにある、常に生きている人間に隣接し、オーバーラップしている身近な出来事であり、しかも誰しもが一生「死」につきまとわれていて、地上で生きている人全員が、いつかその世界の扉を開くこととなっているのだから。
俳優にして霊界研究科であった丹波哲郎氏は「壁のすぐ向こうに死後の世界がある」と言っていたように、黄泉の国は遠くの果てにあるのではなく、襖・障子ひとつはさんで存在している。しかし神様の約束事があり、その扉はいつ開くのか地上の人間には知らせないことになっている。今日も、明日も、明後日も、肉体生命があると勝手に思っているが、明日が来ない人もいる。その日は突然に訪れる。
私は随分昔より「死」の専門家でありたいと思っていた。現代人は真実を知らないがゆえに苦しみをつくっているので、何とか力になりたいと考えている。死の専門家は医師や坊主であるはずだが、現代社会では彼らは「死とは何か」を知らない職種となって久しい。彼らに「死」のことを訪ねたところで、まともな答えなど返って来ない。
大学の医学部では「死後の世界」を教えるはずもなく、唯物論的に基づく医学を学び、卒業し、国家資格を取得し、医師になる。仏教大学では誤った無我論を教え、「死んだら我が無くなる、つまり無になる」と教える始末だ。最早、彼等は死の専門家とは呼べまい。