第16回効果絶大!!健康塾「医聖ヒポクラテスを探る」後編
ヒポクラテスの起源
ヒポクラテスは紀元前460年に地中海のコス島のコスで生まれたといわれている。コス島は現在ギリシャの一部だが、場所はトルコ本土に極めて近い島だ。ヒポクラテスの同時代人にソクラテスがおり、九年前の紀元前469年に生まれている。その他プラトン、ピタゴラス、アリストテレス、アルキメデス、などなど前後して生まれギリシャの興隆を支えた。時代を約100年上ればインド(今はパキスタン)にお釈迦様がお生まれになっている。
ヒポクラテスはコス派の医者の家系に生まれ、父から医師となる教育を受けた。その後、両親が死亡するとコスを離れ、ギリシャ各地を旅してまわったという。まるで諸国を行脚しながら道を説いた孔子のようでもあった。アテナイを含む各地で治療に当たり、多くの人を救い名声を得た。ヒポクラテスがラリサで死んだことは分かっているが、死んだ年齢として言われるのはまちまちで、85歳、90歳、104歳、109歳などの説がある。
生前の教えで人は人間は120歳まで生きることができる、と説いているので有言実行し109歳で死んだと信じたいものだ。当時の平均年齢は知らないが、まぁ50歳以下だろう。よって、どの説をとっても大変な長寿であったといえる。
ヒポクラテス全集
アリストテレスの「政治学」には次のように書いている。「医者と呼ばれる者には、普通の治療医と、大家の医者と、その技術についてただ教育を受けたにすぎない者とがある」ヒポクラテスは当然、大家であり、そのもとに普通の治療医を目指す者が医術の奥義を伝授してもらうために、集まっていたのだった。そして、今風にいえば医学校が出来ていた。